ROT-007 薬祖神
薬問屋の多かった東京日本橋には、薬祖神が祀られていたようです。
現代では、都市開発により「福徳の森」に遷座されています。そして、今でも祀られる薬祖神社から、東京日本橋の歴史が紐解かれます。
「日本橋本町」とは、江戸で最初の街を意味していたそうです*1。この街には、薬種商が次々に集い、住み始めたとのこと。
その後、家康が慶長8年(1603年)に幕府を開き、江戸の町がどんどん形作られるにつれ、全国の商工業者が江戸へと集まりはじめました。その中には薬に関する商いを行っていた薬種商もいました。家康は日本橋周辺を町の中心部と定め、商工業者には業種別に集まって住むようお触れを出しましたが、薬種商は日本橋本町三丁目付近に住むこととされました。こうして日本橋本町は、関東の薬品取引の中心地となっていきました。
(中略)
日本橋本町における薬種商の元祖と伝えられるのが、益田友嘉です。もともと小田原の北条家に仕えた目医者の流れをくみ、北条家が滅んだあと江戸に出て日本橋本町四丁目に住んでいたのですが、その商いの始まりにも、江戸の街づくりが深く関わっていました。
このような江戸時代の街づくりが、薬祖神への信仰につながったようです。さらに、この祭礼は公益社団法人東京薬事協会にも受け継がれました。
日本橋本町の薬業界では、昔からこの二柱を祭神とする水戸の大洗磯前(いそさき)神社、酒列磯前(さかつらいそさき)神社や東京上野の五條天神社に参詣して崇敬の念を表 してきました。
明治41年(1908)からは、東京薬種貿易商同業組合(現公益社団法人 東京薬事協会)が、東京上野の五條天神社から薬祖神(やくそしん)の御霊を迎え大祭を執行し、昭和4年(1929年)には事務所建物の屋上に薬祖神社(初代社殿)が造営され、昭和58年には昭和薬貿ビル屋上に第二代目の社殿が造営されました。
さらに平成28年(2016年)9月28日福徳の森に第三代目の薬祖神社が遷座いたしました。
ところが、こちらの薬祖神は神農ではありません。この違いは一体何なのか。それは、もう少し後で考えてみたいと思います。
わが国で医薬の祖神と言われているのは、大己貴命(おおなむじのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神で、共に国土経営に尽力され、薬の術や医道、酒造諸々を教えたと「古事記」や「日本書紀」「風土記」等に述べられています。*2