ESN-003 敬田院(箕田里)
叡尊が生を受けたのは、現奈良県郡山市白土町と考えられています。
建仁元(1201)年5月、大和国添上郡箕田里が出身地だと、自ら記した叡尊。*1割書きには「近年号敬田院」と添えており、出生地には敬田院と呼ばれる寺院があったことがわかります。
さらに詳細に見ると、同市発志院町と白土町の境付近が箕田里とされています。「発志院」とは実際にあった寺院のことで、興福寺末寺だったようです。
興福寺の末寺である発志院を中心に発達したのが発志院村、中世文書に「吉岡中庄」と記され、略して「中庄」さらに「中城」となったのが中城村です。両村は、明治21年(1888)の町村制施行に際し、他の7村落とともに治道村となりました。集落内には、八王子神社があります。*2
そして、「敬田院」とは西大寺末寺のことで、西大寺を復興させた叡尊関連の寺院でしょうか。今では、浄福寺(浄土宗)が出生地を伝えているようです。
箕田里は、中世には集落が存在したようですが、戦乱に巻き込まれたのち、江戸時代に村にはならなかったようです。*3