茶祖礼讃

お茶のルーツは誰なのか?

ROT-011 薬祖神

神農

「薬祖神」と言えば神農なのか、スクナヒコナなのか?
なぜ、このような”ブレ”が生じたのでしょうか?

神農や薬祖神に関する祭礼が斎行される地は、薬売りのコミュニティでした。

これまで、薬祖神を祀る神社を概観してきましたが、ほとんどが薬売りの街に鎮座していました。では、薬売りの街はいつ頃から成立したのでしょうか?

これらは、江戸時代に成立した薬売りの街、あるいは薬園です。つまり、近世の医薬業界関係者が、神農を祀り始めたという可能性です。

近世の薬売りは、「香具師」に含まれ露天商の形態を成していたそうです。彼らは現代で言うノマドな人々で、民俗学等では職能民に括られるのかもしれません。ノマドな人々は、寺社や権威者から保護を受けるため、自身の由緒を神々や皇族等に求めました。そして、薬売りの場合は、神農でした。

当時の薬は、漢方だったようです。もちろん、当時は既に中国から伝来してジャパナイズされたものでしょうが、知識の源泉やテキスト、マニュアルのルーツは中国大陸にありました。

さらに、江戸時代初期には、中国大陸から様々な思想や文化が流入していました。

黄檗禅はその代表格ですが、ダイニングや出版等、現代日本に根付いたものの多くは、このときに伝来しています。そのなかに中国の医学書や知識も当然含まれ、かつてない流通量を誇ったのでしょう。

中国における医薬の祖は、やはり神農です。そういった背景から、薬売りは神農を拠り所として信奉し、街やコミュニティを形成していったのでしょう。

この系譜が、「薬祖神」スクナヒコナとはまた別の系統を成したため、”ブレ”が生じたのかもしれません。