茶祖礼讃

お茶のルーツは誰なのか?

ESN-009 茶祖叡尊の足跡はどこにある?

茶祖叡尊の足跡をたどるには、何を使えばよいのでしょうか? 寺社に遺る伝説もそのひとつですが、幸いなことに叡尊の場合は日記が遺されています。

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 彼が遺した日記は、後の世代に教えを伝えるためでもあります。叡尊に学ぶ人々は、彼の日記を頼りに研鑽していたようです。叡尊が生きたのは800年ほども前のこと。自筆の日記はなかなか現存しづらいのですが、弟子や叡尊を奉賛する仏教者たちは自らの手許にも遺したいがため、日記を書き写しました。それを「写本」と呼びます。

日本においても古文書や記録資料、編纂資料などは多くが写本として伝来し、原本のほか写本が存在するものや、原本が伝存せず作成時期の異なる複数の写本が伝存しているケースなど、さまざまなものがある。なお、写本の作成に際して用いられた原本を「底本」と呼び、底本は必ずしも成立当初の原本ではなく写本であることも多い。*1

彼の日記は『金剛佛子叡尊感身学正記』とタイトルが付され、一般的には『感身学正記』と略されます。現存最古の写本は、西大寺にあります。ただ、虫食いがひどい箇所があり、読み解くのに補う別の写本が必要となります。その際に参考にされたのが、次点並みに古い、淨住寺蔵の写本。そうして、『感身学正記』は復刻されます。

『金剛仏子叡尊感身学正記』(こんごうぶつしえいそんかんしんがくしょうき)は、鎌倉時代真言律宗を開いた僧侶・叡尊の自伝で、感身学正記と略称する場合もある。

弘安8年(1285年)、85歳を迎え先が短いと捉え叡尊は、自己の信仰・事業について振り返って後事を門人に託すために同年11月14日に執筆を開始し翌年2月28日に完成され、翌3月までに校正を終えた。*2

また、日記や自伝ではなくても、叡尊の伝記もまとめられてあります。叡尊に関する情報が集積され、一冊の史料になったもの。それが、『西大勅謚興正菩薩行実年譜』。淨住寺に住していた慈光が編纂したものとされ、伝説も含め、時系列にまとめられました。

叡尊の仏教者としての活動はこれらの史料から読み解くことになり、そして茶祖としての姿も浮かび上がってくるのです。

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