茶祖礼讃

お茶のルーツは誰なのか?

ROT-012 薬祖神

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江戸時代を終えるまでの長い歴史の中で、医薬の主流だったのは今でいう漢方医学でした。ところが明治を迎えると、神仏分離令だけでなく、漢方医学も不遇の時代に入ってしまいます。

1872年、明治政府は、学制を制定し、西洋医学中心の新しい教育制度を整えるとともに、1874年には医制を制定し、西洋7科に基づく試験制度、医業の開業許可を制度化した。*1

 『解体新書』でも有名な蘭学が江戸時代に取り入れられ、明治時代には本格的に西洋医学が採用されていったようです。政府による漢方廃止政策に立ち向かった、元将軍家典医たちが現れたほどです。

 徳川将軍家の典医及び宮内省侍医となり、天璋院による徳川慶喜の助命を求める書状を西郷隆盛に届けた。医師としてはフランス公使・ロッシュや嘉仁親王(後の大正天皇)の生命の危機を救った事で知られている。医療や著述のかたわら、明治政府の漢方廃止政策に対抗し、漢方六賢人(宗伯のほか、岡田昌春・清川玄道・桐淵道斎・河内全節・高島祐啓)の筆頭として、漢方保存に尽力した。維新後には宮内省侍医。*2

 こうした政府による政策の影響もあり、漢方医の祖神でもある神農が、次第にその影を薄くせざるを得なかったのでしょうか。

これは余談ですが、中国から流入して比較的新しかった黄檗禅宗は、日清戦争にあたってこれまた不遇の時代を迎えたようです。神仏は、国家の動向に非常に大きく左右される。茶のルーツを考えるにおいても、留意すべき点かもしれません。